2015年のボロボロになった手帳を見直しているのだけれど、見事に仕事だらけの1年だったなあ。プライベートほぼゼロ。笑
自分の顔と名前を使って仕事しているから、それでいいのだ。
手帳の予定って、日記みたいなもんだから
「あ、この日はこの予定の後○○だったな〜」
と、1日1日を忘れないものですね。
2016年の手帳も同じものを購入しました。カレンダーとスケジュールが月毎に一瞬になってるから使いやすいのだ。
デザインより合理が命です。
サンタさんはパフィーディアがラフォーレで配ってたやつ。
メイクレッスンを始める前、
僕は衣装を作ったりしてはいたのですが、社会の中で宙ぶらりん状態でした。
生活が出来ない僕に対して母は心配して当たり前に
「就職しなさい」
と言います。
僕は就職しなきゃ仕事しなきゃと空回れば空回るほど奇行が増しw
東京に来てからメイクレッスンをはじめるまでの1年弱、
私はストレスが爆発して月に一度以上のペースで身体を壊していました。
その一方で、
堅い仕事をしている父は
小さい頃僕をストレスのサンドバッグにしていた反動か(笑)
「食えなくなっても生活の面は支えになるから好きな事、やりたい事を全うして欲しい」
と僕の見えない所で言っていたそうです。
仕送りで僕の生活を支えてくれていました。
僕は出来ることはあるかもしれないけれど、
いつからか、自分がやりたい事や好きな事なんて何一つ無いのに。
物を作ったりしていても美大の大学院を出て学歴を作っているわけじゃ無いし、
服を作れてもファッションブランドをやりたいわけでも無いし。
むしろ服を作るのが嫌いだし。
勿論出来上がった服を喜んでくれる人がいたり、
テレビをつけてみたら私の作った服を見かけたら、
嬉しいと言えば嬉しいけれど残るのはそれ以上の虚無感だけ。
父の期待してくれているような
充実した自分はそこに居ない。
罪悪感と自己嫌悪だけが日々増していきました。
お盆と正月が来るのが憂鬱で仕方がない。
実家に帰れば小さくなって皿を洗って母から「食器洗い機で洗った方が綺麗になるから洗わなくていいよ」と突っ込まれw
実家でのんびり休む訳にも行かず。
そんな実家に帰る度に肩身の狭い、
何もしない20代を過ごしてしまった私も、
今年はメイクレッスンは沢山のお客様にご来場頂き、無事に飯が食えるようになりました。
母が東京に来た時は外食代を私が出せるようになりました。
お盆に実家に帰った時は母から
「随分態度がデカくなったね、キミ」と言われる程に実家でグータラしています^_^;
父や弟妹は相変わらず何も僕には言いませんが…。
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「出来る事を何でもかんでもやらされる」
「出来る事は何でもやります」
という意識はこんなに違うのね。
その考えを知らなかったら、私の人生はきっとまだ真っ暗なままだったでしょう。
その考え方は、メイクレッスンにいらしてくださったお客さんがいた事、
私に仕事をくれた方々がいる事で、
一生の財産になりました。
私の生活が楽になっただけでなく、
私の家族、親戚中が私を見て安心しています。
今僕は新幹線に乗って実家に向かっています。
持ち物は着替えと財布と携帯電話の充電器と2015年の手帳と、父へのプレゼントの、ネクタイです。
初任給で両親に何かを買うという事ができなかった私なので、皆さんから頂いたお金をこのように使いました。
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2015年、
私の家族や親戚中を安心させてくれた皆さんは、
幸せに過ごさなければなりません。